蕪栗沼遊水地

 遊水地の役割


 蕪栗沼と、白鳥地区・沼崎・四分区・野谷地の4つの水田区画は、河川増水時に一時的に貯水する遊水地として整備されています。

 越流堤防


 越流堤は、河川から遊水地に、増水した水を流入させるための施設です。周囲堤防に比べ一段低くなっており、河川から溢れた水はここを流れます。ゴム堰など越流堤の施設は大変重要なので、決して乗って遊んだりしないようお願いします。また、増水時に近づくと、流されて死ぬ可能性があります。越流時には赤色灯が回転し、周辺道路は封鎖されますのでご注意ください。

 ラムサール条約湿地


 蕪栗沼・周囲水田は、2005年に世界で初めて水田という名前で登録されたラムサール条約湿地です。渡り鳥のねぐらとなる沼本体だけでなく、採食地となる周囲水田も登録されています。合わせて、沼本体は環境省の鳥獣保護区特別保護地区に、周辺の広大な水田が鳥獣保護区に指定されました。

 干拓で小さくなった沼


 蕪栗沼は昭和初期の干拓によって面積が約1/4になったと言われています。それ以前に、伊達政宗によって北上川流域の新田開発がなされる前は、さらに大きく、琵琶湖の半分近くあったとさえ言われています。仙台市博物館には、江戸時代の蕪栗沼の描かれた図画が展示されています。

 北上川の河道の変遷


 伊達政宗によって、北上川流域の新田開発を行うために、河道を変える工事が行われ、蕪栗沼の近くを流れていた北上川は、遠く柳津の方へ移動し、もとの河道は迫川から旧迫川となりました。また江合川と迫川、北上川が合流したことで、米を舟で海まで運搬できるようになり、古川や若柳、登米など川沿いの船着場に町が発展しました。

遊水地整備


 大平洋戦争前後は、さらに食料を増産するため干拓が進みましたが、昭和22,23年のカスリン・アイオン台風によって大水害が起き、治水対策のために遊水地を整備する計画が立てられました。しかし、沼を干拓して売った土地に水田を作り各地から移住してきた農業者の反発を買い、住宅の移転や補償交渉は難航を極め、着工したのが16年後の昭和45年で、遊水地が完成したのは平成13年になります。

 蕪栗沼の名前の由来


 1671年に書かれた封土記には、「昔、沼の周囲に大きな栗林があり、実は大きく、味はカブのように甘かった」と書いてあります。しかし1761年の別の書物には、「蕪栗村の畑でとれたカブは栗のように甘くて美味い」と書いてあり、矛盾する内容になっています。

 中沢目貝塚・長者原貝塚


 昔の蕪栗沼の岸にあった縄文時代の貝塚からは、深い層からアサリが、中間からシジミが、浅い層からドブガイなど淡水貝が発見されたそうです。このことから、縄文時代初期には蕪栗沼は海で、地球の寒冷化とともに海岸線が後退していったと考えられています。

 またタンチョウやカワウソなど現代では見られない生き物や、マグロやサメなど遠洋のもの、今と同じくガンカモ類の骨も見つかっています。

 遮光器土偶


 蕪栗沼の南側にある恵比寿田遺跡からは、有名な遮光器土偶の完全体が発見されました。現在は国立科学博物館に展示されています。